映画「ホノカアボーイ(honokaa boy)」

2009/3/14から、全国東宝系ロードショーとして封切られた映画、「ホノカアボーイ」。限られた劇場でのみ、現在最後の上映が行なわれているうちにあわてて観てまいりました。

ワイ島北部の小さな町Honokaaを舞台に、人と触れ合う(関わる)とはどういうことか、生きること、恋すること、老いること(このみっつで、ヒト、の1ループ、だと言えそうです)、をさまざまなアプローチで穏やかに浮き彫りにした、という内容だと感じました。

随所に、ハワイらしさ、が、おそらくかなりのマニアックな注意深さを持って織り込まれていて、これはハワイが好きだったり、ハワイ、という舞台そのものに対していくらかの予備知識をあらかじめ持っている人ほど、楽しめる内容になっていると思います。
風を視覚化してくれるティ(Ti。ハワイでよく見られる幅広の葉の植物。その葉はフラのスカートに利用されることもある)の植え込み、ちょっと見たことのない柄のヴィンテージ風アロハシャツ、ロコガールが着ている茶色のぴったりとしたROXYのキャミソール、主人公の青年の着るハワイアンエアラインのTシャツ、ハワイを代表するおやつマラサダ、剥げたペンキの壁・・・などなど、目を凝らせば凝らすほど、どこもかしこも本物のハワイらしさがたっぷりと詰まっていて、映画を観る間中、宝探しのようにそれらに注意を向けるのもひとつの楽しみ方だと思います。

全体にハイキー(映画でも"ハイキー"と言って良いのでしょうか?)な映像は、色彩が多くペールトーン〜ライトなダルトーンでまとめられていて、それがこの町ののったりとした退屈なイメージを印象付けるのに役立っています。私の直感的な感想では、ややレモンに傾いた明るい黄色と、ほんのすこしグレーを帯びた浅いブルー、この二色がこの映画では何度も繰り返し使われていて、テーマカラーのようだなと思いました。

映画の内容としては、「ストーリー性」を追うとちょっと辛いかも。一連の起承転結のある「ストーリー」というよりは、まるで、そう、主人公のBeeさんが着ていた、モチーフ編みをつなぎ合わせたベストのように、パッチワーク状に「ハワイ」や「恋」「生きること」がつなぎあわされているという仕上がりだと感じました。それらが全部見終わったときに、受け手(見た人)の中でわーっと舞い上がり、しばらくすると澱のように沈み、各個人の中でそれぞれの味を作っていくと思います。

実は「生きること=食べること」が信条、のわたくしにとって、愛情を込めて丁寧に作られた手料理の数々が、そのモチーフのひとつであったということもとても楽しめたポイントでした。日本人になじみの深いはずの料理も、どこかハワイ風、というか、ハワイという土地にあった形にちょっと変形されていたりもして、そういった実にささやかなディーテイルもまた、計算されつくしたハワイ感を表現するのに役立っています。

この映画が伝えたいこと、に対する感想としては「生きることは食べることであり、生きている限り恋をするし人と関わる。そして、生き続けるという事は、老い続けるということなのだな、とあらためて再確認し、そこから逃げずに繰り返される日常を走らせていくということは、退屈に見えて実はなんと愛情と感謝に満ち満ちたものである」のだな、というところです。

最後に、わたくしが涙がジワっとした箇所は二箇所。
ひとつは、少年がポロン、と奏でるウクレレの音色を聞いたとき。ウクレレの音というものは、なぜあんなにも胸の奥深いところに共鳴してきゅぅっとなるのでしょう。
もうひとつは、これまでにも何度もいろいろな形で触れ、見てきたはずのフラでありながら、滅多に目にすることのできないであろう「喪服でのフラ」の演出を見たとき。うるり、とする一方で、あっ、と何かに打たれたかのようにも感じました。大会やステージのフラばかりフィーチャーされる昨今ですが、生活の、日常に根を張るフラ、であれば、こういった形もアリ、なのではないかな、と感じて。

もろもろ感じ入ってずいぶん長くなったレビューとなってしまいました。こんなふうにまとめてくださったこの映画のビジュアルが、また私の中で沈澱し、うまく根付いて何かの表現に役立てばいいな、と思いました。

水漏れ修理honokaa-boy