モロカイ島 - Molokai -

昨日、短いモロカイ島への旅から帰ってきました。ただいま。不思議なことがいくつも起こった旅はギュッと凝縮されていてとても簡単にお話できそうにありません。ゆっくりと、折りに触れて、お話できたら、と思っています。


島という場所が好きで10代からずっと島ばかり旅して来ましたが、島に行くとリセットされるあの感覚がよくて行くのだなと再確認。今回の旅はすごかった。禊の旅、という表現がピッタリでした。これからわたしはさらにどんどんと、いろいろなものを祓っていきたいです。


それにしても・・・最初に(なんの最初?)言っておくけれど、わたしは、「スピリチュアル」というものはどちらかといえばあまり、好みません。それはその存在を否定する意味でではなく、ごく日常に含まれているただの事象にあえて命名付与して増幅することを好まないということです。


あらゆることに対してできるだけフラット/ニュートラルでありたいのが私ですがそんな私が、「うーーん、スピリチュアル!」と唸りたくなるような・・・そういう、場所で、旅たっだんだよ、今回・・・本一冊書けそうなくらいに・・・。


わたしの、本質の部分はなんら変わりはしないのだけれど、もっと削ぎ落としたい、と今望んでる。それから、ゼロから始めることも試したい。恐れるものなどたいしてないのだから、しがみつかずに自由にやっていこうと思います。

マクロとミクロのGマップ

昨日、いつもは「地図」で見ているGoogle Mapを、「写真」モードで見てた。最初は、ただ、「軽井沢」を探していただけだった。続いて自分の住んでいる所周辺を眺めた。写真データもいつのまにか更新されて以前見たときよりも新しくなったんだな、と思った。
私の住んでいるところには、見慣れた光景が、陽に照らされて、とても静かで、いつも通りで、平和そうだった。次に実家の近くを見た。お布団が干してありそうに太陽に包まれていた。どうもこのGマップ用写真は晴れたときのものを採用しているようだ。
心の中になんだかうらうらとしたものが広がった。人影があまり映りこんでいないのが気になって渋谷のスクランブル交差点を見てみた。角度が直角の俯瞰ではなかったが、それなりに人が居た。サラリーマン風の人かな、陽の光の中、それぞれに何かを思って信号を待っている(ように見える)。
あの団地の一戸一戸の中、このビルの窓一つ一つの中、いろんな人たちが太陽に照らされたりしながらこの地球の上で、おいしいものを食べたり傷ついたりケンカしたり戦ったり微笑んだり腹を立てたりしてる。マクロな絵図の中のミクロな個人事情。それらひとつひとつがすごく幸せに見えた。
もう一度自分の住んでいるところに戻った。やっぱり静かで平和で陽があたってる。地図を見始めたとき、わたしは確かに焦っていたしそれなりにうちのめされてもいたし掴みたいものをつかめない非力さを嘆いても居た。でも、わたし、すごく幸せだ。Gマップを見て再発見したきらめく小さな宝。
しあわせ、って、すぐ隣にあるな、って、再確認することが増えたこのごろ。風のない日の湖に静かに進水するように今日を始める。れっつごー。

モロカイ島にしに行くこと

モロカイ島のことをぜんぜん、考えていない。WEBから手配したつもりのレンタカー(Alamo)も、実は取れているかどうかかなり怪しいもの。リコンファーム的メールを打たなくてはならないが、心のどこかで、予定外のハプニングでも別にいいや、という気持ちもある。
多分そのくらいの心積もりじゃないと、モロカイって、行けない気がする。
モロカイ島は、ハワイに行く、感覚ではない。島好き一辺倒で来たわたしの、島のひとつ。ただ、ハワイ、に関してはどこか相性を見るような、「わたしのハワイ」を確認/探しに行くような旅になると思ってる。マイ・ハワイ。
モロカイ島では、現地のフラの見学を・・・たぶん、できそう。楽しみ。少しずつ、わたしの(今)見たいフラ、に、近づいている気がする。あとは、新月に近い日にちでの星空を。旅の日にちも目的も、ただそれだけのための、モロカイ島。

震災以来わたしの価値観が大きく、変動したと思う。うらうらとした口当たりの良いものが、怒涛に飲み込まれてきれいさっぱりと流れていったような。それでなければたどり着け/見えなかったものもあるのだろう。