「おくりびと」雑感

映画「おくりびと」(英語でのタイトルは「departures(出発/門出、の意)」)が外国語映画賞を受賞しました。
納棺師という、平穏な日常では触れることのない職業にスポットをあてたこの作品はがとても気になっています。

二年ほど前、ごく身近な人間が事故でなくなりました。
なにもかもが慌しく流れる中、私は納棺師の存在を知りました。
「これより、旅立ちのご準備をお手伝いさせていただきます」のような挨拶から始まるそれは、映画の宣伝/告知に出てくるのと殆ど同じです。からだを清め、白装束を着せ、しっかりと天への道を歩けるように足袋を履かせる。映画の告知で見ている限りでは出てきていませんが、なにか小さな肩掛けバッグのようなものも持たせました。そのそれぞれに意味があるらしく、そのどれもが過酷な天界への道中、魂が迷うことなきよう、魂が萎えることなきよう、魂が何ものにも邪魔されることなきよう、という送り手の最後の温かい想いを込めたものでした。

ただひとつ大きく異なるのは、それを受け取る受け手側の「旅立ち」への心の準備の量、でしょうか。
あまりにも突然の事故死だったものですから、そのとき私はうまく事実を容認することができず、心の中で「旅立たせてなるものか」という感情が占める割合が多かったように記憶しています。送り出す準備、が、淡々と流れる流れ作業、のようにも感じられ、「ちょっと待って」と何度も言いたくなったものでした。

この映画の宣伝を見てしみじみと感じたのは、いわゆる「天寿を全う」するともう少しこのように和やかなものもあったのかもしれないな、という思いでした。
同時に、わたしのような一個人ひとりの受け取り方にしてもこれだけのものがあるこの作品を世にそれこそ「送り出す」のは、さぞかし大変であっただろうな、とも思いました。あまりにも難しいテーマがひとつの「作品」として完成する一助になったのは、ひとつにはあの冴え冴えとした美意識であるように思います。ことに主演男優の本木雅弘の美意識の高さが全面ににじみ出た作品だと思います。
本来「ごはんを食べること」の隣にある「死」を「作品」にしあげるのに10年以上の歳月を要したというのもうなずけました。

高いプロ意識の仕事をぜひ見てみたいと思いますが、私がごく客観的にこの作品を見ることができるには、まだあと数年かかりそうです。でも、いつかきっと観たいと思います。

また、付け足しのようになってしまいますが、天寿を全うするというのはとても大事なことだと思います。死に「整然」もないとは思いますが、混沌とした死は混沌とした「departure」につながってしまう。後から思い出しても寂しいものです。自らの命に自ら期限を設定してしまう方々の多い現代、それらがひとつでも減ってくれることを願ってやみません。

■「おくりびと」サイト
http://www.ielab.jp/okuribito/index.php

http://www.okuribito.jp/が公式サイトだと思うのですが、現段階で接続が確立せず、確認が取れません。

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■映画の元となった原作「納棺夫日記

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

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